先日、岡田三郎の調査で、
岡田が同人として所属した雑誌「近代生活」のバックナンバーをざっと確認した。
改めて感じるのは、高見順がいうように「近代生活」は、新興芸術派の機関雑誌だったのだと。
龍胆寺雄「放浪時代」は、高原英理さんのお気に入りの作品のひとつ。「少女領域」でもとりあげられている。
「放浪時代」は、都会生活を営む男女の享楽的な生活を描いた作品である。かつて「幻想文学」で、東雅夫さんが「永遠に続く夏休みのような雰囲気」があると指摘していたが、本作の魅力はそこにつきる。
高原さんが、かつて、ブログにて
「放浪時代」は、村上春樹につながる都市生活者の原型となるものをうつしとったと書いていた。
なるほど「放浪時代」には、もしかしたら、理想化された都市生活が描かれているのかもしれない。では、実際にはどうだったのか。佐々木幹郎さんがかつて私に語った「雑誌の目次に時代は現れる」という言葉に従い、「近代生活」に現れた「時代」をみてみよう。
雑誌「近代生活」は、必ず、映画、野球、ファッションの紹介記事があり、座談会もそうした風俗に関係したものばかりだ。
なかには、新興芸術派の面々を野球チームにたとえ、同じく仮想の野球チームになった、他作家と空想の試合を繰り広げるという記事もあり、なかなか、たのしい誌面構成となっている。
文壇ゴシップを紹介するコラムもある。
時折、他の同人誌で活躍する作家をゲストとしてかかせている。
吉村鐵太郎、堀辰雄、宗瑛、北園克衛、山下三郎など。
龍胆寺雄はコンスタントに執筆。
時評的な記事が多く、評論家的な役割をおっていたようだ。
「近代生活」は、都市生活者のための文藝雑誌であったようだ。
いまの我々からすると、大衆風俗を研究するための素材として有益だと思う。
「近代生活」は、「放浪時代」が描かれた空気感を具体的に感じさせる。
岡田三郎の調査の過程でわかったことだが、ほかに書くところもないので、ここにまとめておく。