2025年07月06日

『第三の磁場 未然形の作家、埴谷雄高』をめぐる補足事項など 書家・石川九楊とのかかわりから

『第三の磁場 未然形の作家、埴谷雄高』をめぐる補足事項など 書家・石川九楊とのかかわりから


新刊『第三の磁場 未然形の作家、埴谷雄高』の執筆背景について少し補足説明いたします。


そもそものはじまりは、書家・石川九楊さんの大規模な回顧展に行ったことがきっかけでした。展示された内容のうち、


・初期作品群でとりあげられている聖書やドストエフスキーといったモチーフ、石川九楊さんの極限志向が明らかに第一次戦後派由来であること


・俳人、河東碧梧桐の句を使った連作が、たしかに「書」でしか示しえない境地になっていて、ことばを使用しながらことばを越えた世界をとらえていたこと


がきっかけとなり、石川九楊さんの作品に強い興味をいだきました。石川九楊さんが執筆した河東碧梧桐論は、書家・河東碧梧桐の独自性から絶え間ない変革者としての河東碧梧桐をとらえようとしており、石川九楊さん自身にもひきつけた内容となっていました。また、同書に頻出する「革命」という言葉から、私は、第一次戦後派の埴谷雄高の営みを連想しました。


ここに、河東碧梧桐⇒埴谷雄高⇒石川九楊という流れが私のなかで構築され、石川九楊さんと埴谷雄高の対比を行うための心づもりができました。


そして、石川九楊さんのエッセイ『悪筆論』で指摘された、あらゆる肉筆の文学作品の本質は未然形であるという結論は、埴谷雄高が追及した「存在」の主題をめぐる創作群と私のなかでむすびつき、石川九楊さんのいう「未然形」という視点から小説家、埴谷雄高の解析を試みるきっかけになりました。

本書は、埴谷雄高と石川九楊さんをめぐる、私の妄想実験をまとめたものです。ジャンルもなにも全て横断し、飛躍に飛躍を重ねていますが、埴谷雄高作品と石川九楊さんの『悪筆論』の魅力をかきとめることはできたと自負しております。


よろしければ、現物をお読みいただればと思います。

神保町パサージュにて、発売中です。
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2024年12月09日

『西村賢太の愛した短編』発売

2025年1月、幻戯書房さまから
『西村賢太の愛した短編』が発売されます。

編集をお手伝いしました。

ご興味あれば、是非、お買い求めください。

https://genkishobo.exblog.jp/30547440/?fbclid=IwY2xjawHDcPpleHRuA2FlbQIxMQABHRE-aFCTWGSLd1wKc_eLATFpvTmsvEOnQLQqrCiLBqJFd6wYNa2TqrwN1A_aem_QwyOolGYB0jNiojKtcTT1g
posted by りき at 18:15| ロンドン ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月09日

「武井武雄刊本作品逍遥」発売

呂古書房さまにて、「武井武雄刊本作品逍遥」発売中です。

https://locoshobou.co.jp/book/61879
posted by りき at 22:05| ロンドン ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月05日

天地2mm未満 戦後短編新聞小説集

天地2mm未満のÉpice 戦後短編新聞小説集を読み終わる。

本書は同人誌。要するに、心意気で制作されている。
内容は、戦後新聞小説で、ごく短い文字数で執筆された短編を集成している。
戦前、フランスから岡田三郎が「コント」という概念を日本に導入し、大正から昭和初期にかけて、掌編ブームがあった。
川端康成「掌の小説」が著名だろう。
岡田三郎、武野藤助らは、コントを文壇に展開し、プロレタリア文学は「壁新聞」なるものを開発し、この流れに呼応した。
他方、この「コント」は、ショート・ショートとは似て非なるものであり、日本においては、星新一の登場まで本格的なショート・ショートは受容されることはなかった。
また、コントは、戦前で途絶え、戦後は星新一ほかのショート・ショートに継承されている認識だった。
だが、戦後初期に、コントが一時期復活していたのは驚きであった。
内容は、小説の破片のようなものから、小噺めいたものまで多彩だ。

こうした光があたりにくいものを掘り起こすことは、労力がかかるわりに報われぬ仕事である。

私個人としては、私が執筆した「コントとショート・ショートをめぐる随想」の後継となる本として捉えた。内容も充実しており、近年稀に見る良書である。
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2024年04月03日

新刊告知 辻野久憲試論 第三の磁場

テスト印刷のokがでました。

以下の内容で、私刊本を刊行します。

題名 「第三の磁場 辻野久憲試論」

サイズ B6

ページ 40ページ

予価 500円

刊行予定日 4月18日

ジョイス「ユリシーズ」の訳者のひとりであり、「萩原朔太郎の人生読本」の編者・フランス文学者、辻野久憲は、早くに、梶井基次郎、堀辰雄、宇野浩二らとと交わり、最晩年は、フランスのカトリック作家・フランソワ・モーリアックに接近し、短い生涯を終える。

辻野久憲は、結果的に、遠藤周作の文学的出発点たる、日本におけるキリスト教の受容という問題を先駆けている。

卒論は、ネルヴァル研究であり、この点では中村真一郎を先駆けている。

だが、辻野久憲は、私小説にも接近していた。辻野が遺した日本人作家に関する評論は、宇野浩二論、嘉村磯多論がある。宇野浩二も辻野の追悼文で指摘しているように、辻野は、自身の生活の芸術化という課題を追求していたフシがある。

本書は、辻野の最晩年の創作「旅の手帖」を論じながら、宇野浩二「富士見高原」との対比をおこない、辻野久憲と私小説のかかわりについて考察した。

販売先は、神保町パサージュ、未踏の大地になります。
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2023年11月19日

田中涼子「光の方へ」に寄せて

田中涼子「光の方へ」に寄せて

ジネンギャラリーで開催された、田中涼子「光の方へ」に展示された銅版画、ガラス絵の作品群に、ボクは「祈り」のようなものを感じた。

淡い青を基調とした、主として小鳥が登場する静謐な作品世界は、どこまでも透明でありながら、一筋の光を追い求めている。

その光をもとめる志向がボクには「祈り」のようにみえるのだ。

柔らかい線で描かれたさまざまなモチーフは、どこまでもファンタスティックな様相を示しながら、作家自身の優しくも凛とした感性をさししめしつつ、冷ややかな現実世界と対峙してもたじろぐことがない。

気のせいだろうか、小さなガラス絵たちは、ボクには宗教画のようにすらみえた。

沁み入るような光をかんじさせる展覧会だった。
posted by りき at 01:41| ロンドン ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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2023年07月23日

木屋佳子「旅人の手記」をめぐって

木屋佳子著「旅人の手記」は、西荻にある本屋、benchtime_bookでのみ、販売している。普及版と特装版とがある。

木版画、添えられた物語は、稲垣足穂や宮澤賢治、たむらしげるのようなニュアンスをおびながら、さらにそのさきのものを追い求めんとする意識がある。
九編の短編を読んだが、いずれも主人公の孤独が強調されている。そして、見逃せないのは、物語への意志である。
星、夜、砂漠、都市といったさまざまな舞台たてのなかで、孤独とむきあう作家の自意識はどこまでも遠くに羽ばたこうとしている。

あらゆる創作は、先行作品への憧れからはじまり、独自の道を歩いていくことになる。
「旅人の手記」の作者は、まだ、孤独な創作者の道を歩き始めたばかりだ。だが、この作者が今後、うみだすであろう、豊饒な成果に期待したい。
posted by りき at 23:24| ロンドン ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月03日

「異国の女に捧ぐ散文」をめぐって

ジュリアン・グラック「異国の女に捧ぐ散文」をめぐって
小野塚 力
ジュリアン・グラックという作家を知ったのは、倉橋由美子のエッセイ集「偏愛文学館」からだった。
グラック「アルゴールの城」「シルトの岸邊」が取り上げられており、倉橋の絶賛ともいえる評価に興味を覚えたのだ。

「アルゴールの城」「シルトの岸邊」を読む限り、グラックという作家は、ある予感、気配、兆しのようなものに執着している。
決定的ななにかが訪れる寸前の緊張感のようなものに囚われているのだ。
これは短篇集「半島」にも共通する感覚であり、私が読む限り、グラックという作家は、注意深く、断定的な世界観を避けている。
これはもしかすると、グラックなりに二元的世界観からの脱出を試みた結果なのかもしれない。

本書は、そんな謎めいた作家グラックが直情的に歌い上げた散文詩十二篇が収録されている。
訳者、松本完治氏の平易かつ見事な訳文と挿画を担当した、山下陽子氏の雰囲気あるコラージュ作品が見事なハーモニーを
つくりだしている。造本も美しく、贅沢な一冊である。

グラックの直線的な熱情は誰に向けられたものだろう。
私には、特定の誰かではなく、誰でもあり、誰でもない<何か>にむけられたもののようにかんじられる。
結局、グラックが「アルゴールの城」「シルトの岸邊」で断定できないなにかを描こうとしていたことを
考えると、たぶん、言語化を拒む<何か>としかいいようがないのだ。
そうしたとき、山下陽子氏の作品が醸し出す美的な静謐さ・静けさにも、同一の方向性を感じるのだ。
山下陽子作品の多くにみられる「余白」は、作品自体の静けさを示すものであると同時に、語り得ぬ余韻のようなものが
仮託されている。
グラックの眼はおそらく、そうした言語化できぬ先にひろがる余白・余韻に向けられているのだ。

「異国の女に捧ぐ散文」は、「シルトの岸邊」「アルゴールの城」と同じ方向性を目指しているにもかかわらず、
直接的なアプローチにより、「シルトの岸邊」「アルゴールの城」の書かれることがない作中世界外の部分に、どれだけの
熱量が眠っているのかを暗示する。

グラックの彼方への思いが熱く語られていると考えるならば、「異国の女に捧ぐ散文」とは、
グラック流の超越的なものへの宣言書ともいえるだろう。
特定し得ぬ<何か>への思い。焦りにも似た思いは、グラックの苦悩に反比例するかのように、読者の胸に迫るものがある。
posted by りき at 23:16| ロンドン ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月03日

詩人、加藤龍門について

加藤龍門という詩人の詩集「盡未来」を、古本屋で、たまたま入手した。

贅沢なつくりの詩集だ。

内容は、日夏耿之介のような、蒲原有明のような象徴派のそれである。

印象的な作品が多いのだが、この作者の来歴がほとんどわからない。

神奈川近代文学館、国会図書館に所蔵されている詩集や歌集が、あわせて六冊程度あるばかり。

「盡未来」に予告されていた、四次元芸術会なるサークルからの刊行物は未刊に終わったようだ。

国会図書館に所蔵されている遺稿歌集には、平成三年に死去したことが記されている。

散文詩のなかに、仏文学科をでて、保健会社に勤めたとあるので、働きながらの創作活動であったようだ。神奈川在住である。

「盡未来」の序文に、宮澤賢治への言及があったが、「盡未来」もまた、賢治ばりの空間、時間感覚がある詩が多い。

遺稿歌集には、多元宇宙という語彙が用いられた歌が複数存在している。

同時代の回想にも言及なく、伝記事項がまるでわからない詩人だ。

「盡未来」だけが、私のまえに存在している。詩集はいくつかのパートにわかれている。吉田一穂のような幾何学的な雰囲気もあり、宮澤賢治的な科学志向もあり、それでいて全体の雰囲気は、象徴詩のそれという複合美が特色である。すべての詩がうまくいっているわけではないが、それでも鑑賞に耐える詩が多数ある。

加藤龍門、謎の詩人である。ただ「盡未来」は再評価が待たれる詩集だとわたしは思う。
posted by りき at 21:49| ロンドン ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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